移民が圧倒的に多い都市ドバイに住んでる私が、日本の「 外国人労働者受け入れ拡大」について思う事。

今日見た日経新聞によると、日本では「単純労働の外国人労働者受け入れ」拡大のために関係閣僚会議が立ち上げられたらしい。

折しもヨーロッパを中心に移民排除を訴える右派系ポピュリスト政党が支持を拡大する中、自民党は「これは移民受け入れではない」と言っているらしいが、外国人を労働力として受け入れて日本で生活させる以上、それは移民だ。

「移民」のようなデリケートな問題は有権者にはあまり実態を悟られないようにしつつ、おそらく15年後には「いつのまにか移民大国になっちゃったよね」という流れが既成路線な感じの、いつもの自民党のやり方だ。

私が最後に日本に住んでいた1998年。

東京のコンビニや居酒屋で外国人が働いているところなど見たことなかった。
だが今では多くが外国人らしい。

ということは表向き「日本では移民を受け入れない」と言ってきたにもかかわらず、すでに実際には低賃金/低スキル労働者を中心に着々と移民を受け入れる政策を取ってきた/またはそうなってしまう政策だった、ということにほかならない。

将来的に現行の社会保障制度を維持するには財源確保が難しく、かつ少子化と労働人口の減少で税金収入が伸び悩む事が予想され、毎年発行し続ける赤字国債の利子返済負担が確実に増えていく・・・という状況下では、外国人労働者をじゃんじゃん受け入れて税金を払ってもらう、というのは手っ取り早い解決策だ。なので外国人労働者(=移民)の受け入れ、という方向はたぶん政府のゴールとも一致する。

日本では「移民受け入れ」と言うと、何かと心配性な日本国民には受け入れられないので、国民に対してはビジョンを示さないまま、なあなあにしつつそっちの方向に持っていく、ということになるのだろう。

超移民大国のUAE(アラブ首長国連邦)

と、批判的に書いてしまったが、私自身は日本の移民受け入れには特に反対ではない。

私自身、超移民大国のUAE(アラブ首長国連邦)に住んでいる。 その中でも特にドバイ(首長国)は実に居住者の90%以上が外国人、というおそらく世界でもっとも移民比率の多い場所だ。

移民都市ドバイ&移民大国のGCC諸国


*GCC諸国:アラビアンガルフの 石油産油国(サウジアラビア、UAE、オマーン、クウェート、バーレーン、カタール)

ドバイ/UAEを始めとするGCC諸国では、多くの地元国籍者は役所などに努め、多くの民間ビジネスは外国人労働力によって成り立つ、という非常に特殊な構造の国々だ。

それから移民大国のアメリカなどと根本的に違うのは、アメリカでは「アメリカ的価値観=白人のキリスト教的価値観」というものが根底にあり、移民はそれに合わせることを社会生活の様々な場面で要求され、葛藤しつつ「アメリカ的価値観」の中に同化していく(そして最終的にアメリカ国籍を取得する人もいる)のであるが、中東の場合には特別イスラム価値観を押し付けられるわけではなく、移民がそれぞれの文化・習慣を維持したまま生活している(そして国籍を取得することはできない)、という点で大きな違いがある。

なのでアメリカやヨーロッパに移住することに比べ、ドバイ移住の精神的ハードルは低い。言語も英語が共通語だし。

ドバイ移住のための心得(言語編)

一方、もし外国人が日本に移住ということになったら、ある意味特殊な「日本的価値観」に合わせていく必要があり、外国人にとっては非常にハードルの高い移住になるだろう。

真の移民都市、ドバイに住む、その日常はどういうことか


ドバイに住んでいると、生活の中でグローバルを感じさせることが沢山出てくる。
普段の生活の中で最近あった出来事からいくつか挙げてみる。

(1)これぞアメリカ人!

私はかれこれ7年ほど同じアパートの9階に住んでいるのだが、ゴミ出しは可燃物・不燃物、生ゴミごっちゃ混ぜ、ついでに粗大ごみもゴミ出しエリアに放置するだけ(そのうち安い労働力で雇われる誰かが片付ける)、みたいな状態だった。ゴミはフロアごとにあるゴミ部屋に出すことになっている。
これはドバイではスタンダードだ。

最近、ドアの下から一通のレターが入れられていた。
それによると、同じ階に住むマイケル&ケイトさんより、「ゴミ出しのリサイクルを始めたい。リサイクル業者をアレンジし、分別したカゴを置いたので協力して欲しい」と。

その後3週間ほど経つが、9階の住民は皆選別したゴミをそれぞれのカゴに入れる、という習慣が始まった。

まだ「われわれが住むビルの9階のみ」の小さな範囲の試みではあるが、こういった草の根的行動を個人が率先して起こす(それが最終的に社会を変えるところまで行くこともある)、というのが非常にアメリカ的。
最近は(トランプの「ミー・ファースト」政策のおかげで?)世界中で嫌われつつあるアメリカ人ではあるが、こういうところが彼らのスゴいところで尊敬に値する。でも尊敬しても私がその様なアクションを起こす事は絶対無い。それはやはり根底にある価値観が違うからなのだと思う。

さっそく感銘を受けた妻がお礼のメールを書いていたが、こういう1人から始まるボランティア精神/草の根精神が、最終的に世の中を変えるムーブメントになり得るところが、欧米人の価値観の根底ににはあるのだ。

(2)これぞイタリア人!

マイサン(My Son、2歳児)は多国籍なナーサリー(日本の保育園/幼稚園に相当)に通わせているが、最近「何して遊んだの?」と聞くと必ず「レイラ」と言う。レイラは同じく2歳児のイタリア人の可愛らしい女の子で、どうもマイサンの最近のお気に入りらしい。

妻がマイサンを迎えに行ったところ、レイラのパパ(イタリア人)も迎えに来ていたらしく、マイサンの「お気に入り」だと話をしたらしい。すると・・・

レイラのパパ「ああ、世の中のボーイズはみんなレイラに首ったけなんだ。」
妻「・・・・・」

(3)これぞインド人!

インド人との取引やプロジェクトを進めていく上でもっとも悩ましいのが、日本人にとっては「嘘つき」とも思えてしまうその独特な習慣だ。

私: "Can you do this?(これやってくれる?)"
インド人: "OK! Done!"

これはビジネス上、インド人がよく口にする得意のフレーズだが、「終わったよ!」という意味ではない。「僕に任せておけば終わったも同然だ!」という意味合い。

なので、Doneと言ったにもかかわらずいつまで経っても終わらない・・・、という事が非常に多い。

ところでドバイの銀行員にはインド人が多い。
私が多くの顧客を紹介していたある銀行のインド人担当者が、いくつかのプロジェクトを私が満足するレベルで完了できないため、 紹介する事を一旦停止した。

するとある日、手土産を大量に持ってやってきた。

複数のブランド香水にジャガーのバックルが付いた革ベルト、けっこうな値段がするであろう腕時計・・・
どれも私の趣味には合わないド派手な一品だったのだが、「いらん」と言うのも悪いので、もらっておいて人にあげた。

そこで、終わってないプロジェクトを完全に終わらせたら、新規の顧客を紹介することを考える、と伝えると・・・

OK! Done!

そしたら次の日。さっそく電話してきて、「今月新しい顧客紹介してくれる?」
まだ「終わらせろ」と言ったプロジェクトまったく終わっていないのに・・・

タフというか何というか・・・・

グローバル化することでいろいろな価値観を受け入れざるを得ない


ここで日本に移民が増えるとどんなプラスとマイナスがあるかを考えてみたい。

物事には何にでもプラスとマイナスの両面が同居するが、日本が移民を受け入れることでプラスに働くであろうと思うことは、日本人の中に多様な価値観が生まれてくるかもしれない、ということだ。

日本では、長らく単一民族国家だし、学校を卒業してまだ大人として未熟な段階で即就職し、その1つの会社(小さいコミュニティ)で40年勤め上げ、 そしてリタイア、というのが理想の人生設計だ。なので最終的に外の世界を知らない非常に視野の狭い人間を作り出していると思う。

グローバル的視点でみた場合、けっこう 「 グローバル視点のコモンセンス」が欠如しているいい歳した日本人が意外に多いことに驚かされる。

なので外国人が入ってくることで様々な価値観が生まれ、昨今よく言われる「日本人の許容範囲の狭さ」もやや改善される可能性を秘めていると思うのだ。

そして様々な価値観の存在を知ることで、イレギュラーな出来事に対しての対応能力の高さも身につくだろう。
そうすれば簡単に詐欺師に騙されたり、得にもならない保険商品を売りつけれらたり、といった事は無くなっていくはずだ。

最近日本では国をあげて取り組んでいる残業ゼロも、雇用主と雇用者の契約が徹底している東アジア以外の国では、そもそも国があれこれ口を出すような問題ではない。

残業代貰えないのに残業なんかしないし、皆早く家に帰って家族と過ごしたいと思っているし、雇用主も残業させて通常の勤務時間より高い時給など払いたくないから、皆終業時間になったらさっさと帰っていく。

それが「人として普通」なのだ。グローバル的には。

残業の慣習についてはほんの一例を挙げただけだが、移民が増えて様々な価値観が生まれると、普通に考えてコモンセンスとしておかしい事は日本からなくなっていくのではないかと思う。
(でも日本固有の風習が無くなった、とノスタルジックになる人はいるだろうね。)

一方、移民が増えてマイナスであろうことは、おそらく貧富の差が圧倒的に広がるだろう。
低賃金の外国人労働者を入れることで雇用主は大きな利幅が取れるし、日本企業が優秀な外国人労働者を受け入れていくなら、優秀な人材にはグローバルレベルの高い給与の支払いが求められるからだ。

移民を受け入れるならビジョンを明確にしてルールを徹底すべきでは?


なあなあと低賃金・低スキルの外国人を増やしながら、いつの間にか外国人多いよね?
外国人の犯罪増えたよね?

みたいな感じになってしまうのがいつもの日本のパターンだが、外国人を増やすならビジョンを明確にして、ちゃんとした基準を設けたほうがいい。
例えば、低賃金労働者は総数規制するとか、国際的な競争力をつけるために優秀な人材を率先して入れる、 そのために学歴や職歴によって在留許可を出すとか、犯罪歴のある人は断固として入れないとか。

それから、いわゆる反日の国々からの移民には厳しい基準を設ける、とか必要だよね。
シージンピンと安重根の踏み絵させる、とか?

ビジョンを明確にしないまま、低賃金労働者ばかり増やし、 3K仕事でドロップアウトした外国人が何をやらかすかわからない、そんな政策がもっとも危うい。


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