涙ながらに猫を安楽死させる。そして尊厳死について考えた。

10日前に安楽死させた猫が火葬されて灰になって帰ってきた。

今年の夏で19歳を迎える目前で、私と連れ添ったのは実に18年以上。この猫を飼い始めた時は私もまだ20代独身で、まだ20世紀=前世紀だった。

当時まだ学生時代。ニューヨークのドミニカ人居住区、今思えば非常に汚いマリファナ臭漂うアパート5階に住んでいた私の部屋の前で、夜中にバイトから帰ってきたら凍えて(かつウンコして)いるのを発見したのが最初の出会いだった。

最初は「なんて汚ねぇ猫だ」と無視して寝たが、「今日は寒いからあの子猫は明日には死んでいるかもしれない」と思うとなかなか寝られず、ドアを開けて万が一入って来たら入れてあげようと思い、ドアを開けたら速攻で入ってきやがったのが始まりだ。多分相当寒くて(本能で)死んでしまうと思ったのだろう。

茶色い毛、そして作曲学科の学生で当時チャイコフスキーにハマっていた私はこの猫を「ちゃいこ」と名付けた。

安楽死させた猫が火葬されて灰になって帰ってきた

そして19年弱。

私は今ではすっかりナイスミドルになって子供も出来た。この猫と連れ添った年月を考えると実に感慨深い。

最初は近所のチャイニーズ・テイクアウト・レストランのセサミチキンを奪い合って啀み合い、いつの間にか家族のようになり、私は当時のガールフレンドと結婚し、私のドバイ移住に伴い連れてきて、さらにその後(猫が)悪性の乳がんになったが大手術で復活し・・・といろいろあった。

20代当時、やりたい事をやりたいようにやっていた私は、「ファミリー?ケッ!」という感じだった。そんな私に家族クオリティを芽生えさせてくれたのは、とにかく凶暴だと評判だったが、何故か私だけにはなついた、この猫だった。

ちゃいこは私にとってはほんとうに「招き猫」だった。

愛(ラブ)があれば生きていける


犬や猫など動物を飼って学ぶ/発見する/体験することといったらなんだろうか。
私が思うに「ご飯と愛(ラブ)があれば生きていける」それを地で行く純粋さではないかと思う。

私が自分で言うのも何だが、うちの猫はとにかく私の事が大好きだった。それはもはや「無償の愛」とも言えるレベルのもの。
例えば仮に、私が職無しになって仕事もせず、家賃も払えず歌舞伎町をフラつき路上生活を始めたら、たぶん妻は呆れて子供を連れて出て行く可能性が高いが、この猫は最後まで一緒について来るに間違いない。

そんなレベルの無償の愛なのだ。

安楽死という選択


安楽死をさせた日、動物病院へ連れて行くまでは安楽死させることは考えていなかった。

ただ、ここ3ヶ月ほど、動物病院には1〜2週間ごとにずっと通っている状態で、猫の体調が良くないことは明らかだった。

もともとは2014年(15歳時)に糖尿病であることがわかり、それ以来毎日のインスリン注射が欠かせなかった。
2年ほど前からは、腎臓が徐々に悪くなっていく慢性腎不全で治ることはないと言われていたし、ここ1年位は心拍が不安定とも言われ、耳も聞こえないようだった。

でも相対的に元気で、行動範囲は狭まってはいたが、ごはんはよく食べたし、かつおぶしやツナ缶に対する情熱もまだまだアツかった。
イタズラでちょっかいを出すマイサンには、幼児であることなど容赦なしで噛み付いた。

そんな感じで、だましだまし20歳の大台まで生きるんじゃなかろうか、と思っていたのだが・・・
過去3ヶ月位で様子は変わった。

まずは耳にウィルス性の感染症がおこり、その後目にも感染症が移ったようで、治療をしても一向に良くならず、そのうち(多分感染症で)後ろ足が思うように動かなくなってベッドにも乗れなくなり、そして手も思うように動かせなくなってうまく歩けず同じ場所をぐるぐる回るようになり、最後にはトイレにも行けなくなってオムツ生活。という状態だった。プライドが高かったのでオムツは相当ショックな様子だった。

糖尿病なので体全体がウィルス感染症で蝕まれていったのだろう。
もう近い内に最後が来るな、という覚悟はできていた。

そんな感じで希望は捨てていなかったものの、なすすべもない、という事を感じつつ病院へ連れて行った。

獣医さんも猫の様子を見て曰く、治療を希望するなら続けられるが良くなっていくのは難しいだろう、という話だった。
そこで、苦痛だろうから「楽にさせてあげる」という選択肢もある、という話が出た。

正直私はその時まで安楽死ということは考えていなかったのだが、獣医さんからその言葉が出た時に、すでにその用意が私の中でできていた事を自覚した。

最後の2週間ほど、猫は休むときも頭をなかなか横に出来ずつらそうだった。

そして過去15年以上、私が寝る時に合わせて毎日欠かさず枕元へ来て一緒に寝るのが習慣だったのだが、ベットに乗ることが出来ず、枕元に来たくて何度もトライしては転げ落ち、最後はすごすごと諦めるその姿が実に悲しかった。

そして拾って枕の横に置いてあげるのだが、ちょっと動くだけでうまく体のバランスが取れずベッドから転げ落ちてしまう・・・

可愛そうでしかたがなかった。

そんな事を振り返りながら、もうその場で楽にしてあげることを決めた。

診察室の中で、家に帰りたそうに一生懸命同じ場所をよろよろぐるぐる回る猫を前に、私と妻は泣いた。(その隣でマイサンはカードゲームで大喜びだったが。2歳児だから。)

そんなわけで、猫は奥へ運ばれて気分が楽になる薬を投与され、最後の薬を投与する注射口をつけられて戻ってきた。
我々に見守られ、まず麻酔の様な薬を注射された後、家族皆に看取られつつ心臓を止める注射を打たれた。

その後数日。そのまま残された猫のご飯台を眺めながら、

その時点での安楽死という自分の判断が果たして正しかったのか


と頭の中で葛藤した。早く決断しすぎたのではなかろうか、と。

体全身が感染症に侵されていたが、猫が苦痛と感じていたかどうかは正直わからない。

治る希望は持てなかったが、最後までかつお節ののったごはんを食べ、私にナデナデされることに喜びを得ていたかもしれない・・・そんな事も考えた。

でも結局私の結論はこうだ。

猫は人間と違うので多分自分の「死」について考えることは無い。
だから心臓が止まるその日まで、ごはんを食べ、無理にでも生きようとするに違いない。例え病気で苦痛であっても。

そこで尊厳死に関わる「クオリティ・オブ・ライフ」という話になってくる。

私自身、自分が人生の最後を迎える時は「安楽死による尊厳死」は現実的な選択肢だと思っている。

すでにその辺の考え方が進んでいるアメリカの一部の州や、オランダ、スイスなどヨーロッパのいくつかの国では尊厳死は合法化されているが、保険料が破綻していく国々の都合も相まって、今後多くの国で合法化されていくのではないかと思う。

私自身もこのクオリティ・オブ・ライフがもはや達成されなくなった時、徐々に沈んでいく船の上で、かついつまで続くかわからない苦痛の中で、まわりに迷惑をかけつつ沈没を待つよりも、「もうすでに人生を達成しきった」と判断した時点で自らの意思で決めることができるオプションを持ちたい、と考えている。

そんな事を考えながら、結局この猫を受け入れたのは私。
そして私のポリシーに基づいて自分で最後の責任を持った。ということで、いろいろ考えず「良しとしよう」という結論に至った。

今は私の枕元に遺灰を置いているが、49日経ったら海に流してあげようと思う。R.I.P ちゃいこ。


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